2011年4月1日

子どもに死について語る時

今回の災害で多くの家族が悲しみの中にいらっしゃいます。 一般的に死について話すことは少ない社会です。加えて子どもに死について語ることは難しいと感じる人がほとんどではないでしょうか。でも、子どもたちは質問したいことをたくさん抱えています。 カナディアン・メンタルヘルス・アソシエーションのChris Bryneという方が書いているアーティクルを訳してみました。


親にとって子どもが悲しみの中にいるのを見るのは辛いことです。できればそんな思いはさせたくないと思うものです。子どもにとっては、身近だった人の死について聞いても答えてもらえないことは辛いのだということを知っていただきたい。一人で思いめぐらして沢山の質問や不安を抱えたまま聞くに聞けないでいるより、家族とともに悲しみを分かち合う方がはるかに良いことです。想像するしかない状況は事実を知るよりはるかに辛いことです。


寝ているの?


“死んだことと寝ていることは違うんだよ。寝ている間は体は働いているんだよ。息もしているし、心臓も動いている。夢を見ることもあるでしょう。死んだら体は働かなくなってしまうんだよ。”


死ぬことは寝ているようなことだと教えられた子供の中には眠りに就くのを恐れるようになることもあることを覚えていてください。



何故死んじゃったの?


病死の場合は、体がもう病気と戦えなくなってしまったことを説明したらいいでしょう。戦う力がなくなってしまったと。たいがいの病気は治ること、風邪やインフルエンザにかかっても日ごろ健康な体を持つ人は薬によって治る力があることを教えましょう。


事故死の場合は、体の機能が止まってしまうほど怪我がひどかったと説明したらいいでしょう。この場合も日常に起こる怪我は治るから心配ないことを教えましょう。



お父さん・お母さんも死ぬの?


身近な人の死を経験した子どもたちは心配なのです。ほとんどの人は長く生きることを話しましょう。健康を維持する生活の仕方を話し合ういい機会かもしれません。


この質問の裏には、親が死んだら誰が面倒を見てくれるのか心配しているかもしれません。親戚・友人など家族の緊急時に助けを求めることができる人たちを知らせておくのも大事です。



死んでもまた帰ってくるの?


“永遠に”という観念は幼い子供にはまだ理解できなことです。少し大きい子供でも、マンガやゲームで死んでもすぐ生き返る観念の中にいる子供は多いかもしれません。死んだらもう帰ってこない・もう会えないことを繰り返し教えなければなりません。










2009年7月4日

性格を知ることと、レッテルを張らないこと

“桜切るバカ、梅切らぬバカ”、吉岡たすくさんが庭師から学んだことを親あてに書いています。これは親が子どもそれぞれの個性を知っていることの大切さを言っているのですが、このことを考えていたらフッと一つの質問を思い出しました。

数年前に、“うちの子は...なんです。”とレッテルを張らないようにしたい、という話をお母さん方とした時のことです。質問は、“でも、生まれつき持っている性格は変えられないと聞いたんですが…” というものでした。まだ子育ての話し合いの場を持つ仕事を始めたばかりの頃で、その場で答えられなかった苦い経験でした。

性格は、それぞれの感じ方、考え方のことです。兄弟二人を同じように叱っても、お兄ちゃんはシュンとなるのに弟には全く効かないといった例はほとんどの親が経験から知っていることでしょう。どちらの感じ方・考え方が正しい・正しくないと言うことではありません。桜か梅かを見極めて、というところにつながります。

性格を変えることは、簡単ではありませんができない事ではありません。他の目から見て悪いから変えるのではなく、変わりたいから変わる努力をするのでしょう。こんな高度な自分改革は子どもに求められることではありません。

幼児期はまだ人格形成期です。実は“レッテルを張らずに…”も吉岡さんの発言です。小さい頃から、うちの子はこういう子だからと決めつけて育てたらそういう性格の子に育つ、とおっしゃるのです。
レッテルを張るということは、繰り返された行動を基にこの子はこういう子だという目で見てしまうことです。大概悪い方向です。ところが、子どもの行動には必ず裏付けがあります。見聞きして学んだ(誰かのまねをしている)、親の言葉や行動を子どもなりに理解した結果の行動、動揺するような出来事が起こった後に防御的に反応するようになった、大人の気を引きたい(時々これは助けを求める信号)等々。決めつけてしまう前に行動の裏を探ってみなければなりません。

子どもは間違ったことをした経験からも多くのことを学んでいきます。とった行動が間違っていたら、それなはしてはいけないことだと正さなければなりませんが、だからと言ってその子が“悪い子”なのではありません。子どもに限らず、人を見る時には行動と人格を分けてみないと危険です。行動が悪かったのであって人格が悪いのではありません。私は“悪い子”(naughty boy/girl)という言葉を使いません。

何回も注意しても同じ間違った行動をとる子どもを見る時、どうしてだろうと大人の側を振り返ってみることも大事です。注意の仕方が年齢に合っていなくてメッセージが伝わっていないかもしれません。言葉が足りなくて(例:“そんなことしちゃダメじゃない”というだけ)子供は何をしてはいけなかったのかわかっていないかもしれません。もっと深い感情が裏にあるかもしれません。

子どもが繰り返し同じ行動をするとき、この子はこういう子だからとレッテルを張る前に、行動の裏を探ってみてください。大人は言葉でちゃんと説明してくれないとわからないので戸惑いますが、まだ言葉で上手に表現できない幼い子供でも、親の“どうしたのかな、解りたいな”という気持ちを感じます。たとえば、“どうしていつもすぐ泣くの!”と “また悲しいことが起こったのかな?どうして泣いているのかな?”とでは、子どもの心に残るものが違うと思いませんか?

大人の私たちだって、レッテルを張られたくはないでしょう。もしそんなことが起こったら、きっと親しい人には理由やいきさつを説明して分かってもらいたいと思うのではないでしょうか。そうでなければ、どうせそう思われているなら…と投げやりになるかも知れません。

吉岡たすくさんの本の紹介を別に書いています。リンク先をご覧ください。

© 2009 Makiko Nakazawa

2009年6月23日

親の気持ち

以前インタビュー記事の中で、 “自分のお腹から出てきた子が病気になったということは、きっと自分のせいだって罪悪感を感じました。” と、母親の心の底が書かれている記事を読みました。母親の子どもに対する気持ちの深さ、つながりの強さを改めて感じました。

子どもの病気を診断されたり、あるいは障害を診断されたりする時の母親の心の痛みは父親には100%はわからないことかもしれません。父親は大丈夫だと言っているわけではありません。言葉少なく感情を表に出さなくても、悲しさ辛さを感じることでしょう。
そんな時に “他にも同じような子はたくさんいるんだから” “自分をそんなに責めなくても” とか “薬や治療方法があるんだろうから、そんなに心配しなくても” の類の言葉は慰めにはならないばかりか分かってもらえない寂しさを感じることにすらなります。

健康な子を産んで、元気な子に育てたいと願っていたはずですから、希望を失ったかのように感じるのではないでしょうか。これはグリーフの心の動きと関係します。ショックから始まり、そんなはずはないと否定する気持ち、怒りが湧き上がってきたり、と現実を認められるようになるまでには沢山のネガティブな気持ちを経験します。この期間は本人は本当に辛いし、周りの人は何とか励ましてあげたいと思います。どんな言葉が励ましになるのでしょう?

誰も辛さの中にいる友達をさらに傷つけようとは思っていません。何か言ってあげることより、どんな気持ちか話す機会を作ってあげられたらその方が助けになります。言葉ではなくただ一緒にいて聞いてあげる、Silence は大きな力を持っています。
辛さの中にいる友達を助けたいと思っている優しい方々に覚えていていただきたいことは、お友達が泣くことを受け入れてあげる自分の心の準備も忘れないでください。 私たちは泣く人をまのあたりにすると自分の心も動揺するものです。
一般的に私たちは人前で泣くことに抵抗があります。泣くことは私たちの複雑な気持ちを落ち着かせるのに大きな役割を果たすのにどうしてでしょうね?泣いてもいいんですよ。あなたの前で泣きはじめたお友達を受け入れてあげてください。

2009年5月15日

子どもの友達関係

5月を迎えました。2月に新しい子どもが入ってきて、クラスの中の友達関係が変わってきて、子どもたちの世界が広がってくる頃ですね。
広がる、というのは単に仲良しグループのお友達が増えることとは限りません。今までの友達関係から違う友達グループに移行していくことも考えられます。

“うちの子、今まではMちゃんとべったりだったのに、この頃新しいお友達ができたみたい。” と言うSちゃんのお母さんは、きっとSちゃんの成長を感じているでしょう。この裏側、Mちゃんには何が起こっているのでしょう?
“Sちゃんが、もうお友達じゃないって言ったの。遊んでくれないんだよ。”
Mちゃんのお母さんは、どんな気持ちでしょう。

子どもたちは大人の感覚では辛辣と思えるほど正直、単刀直入ですね。それは言語と社会性の発達からくるものです。3才になると友達を求める社会性が芽生えてきますが、人を思いやるといった高度なところまではまだ育っていません。随分上手におしゃべりするようになっても、いきさつを説明したり、今日は遊ばないけど明日遊ぼう、などと考えたり言ったりすることはまだ難しいのです。

MちゃんとSちゃんの状況を探索してみましょう。 喧嘩でもしたのでしょうか?SちゃんはMちゃんが嫌いになったのでしょうか?Sちゃんにしてみたら、今までMちゃんだけしか見えていなかった友達関係が一歩広がった、その結果の発言で、今は新しいお友達、Tちゃんといるのが楽しいな、と言いたいのだと思えます。ところがまだ幼児の表現力では、聞く側の気持ちまで配慮した言い方はできなくて、簡潔な表現をしたのではないでしょうか。

子どもさんがMちゃんのような報告をしたら、どんな気持ちでいるかを引き出して聞いてあげてください。この時、子どもさんが怒った口調で訴えてきても、 “ひどいわね!!” と一緒に怒るのはお勧めしません。 怒りの裏には必ず悲しみが隠れています。怒りに同調してもらっても、子どもの心は満たされません。それよりも、“Mちゃん、随分怒っているのね。”と観察したことを言葉にして、“Sちゃんと仲良しだったのに、悲しいね、さびしいね。” “急にお友達じゃないって言われても、どうしていいかわからないね。” と子どもさんの気持ちを代弁してあげてください。 
『お母さんは、私の気持ちをわかってくれる。』この確信が辛い状況を乗り切る力になります。
 
  同じような出来事でも、5才、6才くらいの友達関係の変化にはもう少しはっきりした理由があるのが普通です。それでも、何が起こったかを聞き出す前に、まず、動揺している感情を受け止めてあげてください。感情が高ぶっている時は、何が起こったかを話すこと自体が余計に感情を揺さぶります。前に書いたように、観察した子どもさんの様子を言葉にしてみると良いようです。何が起こったのかを子どもが話し始めたら、それに対してどっちが正しかったか等のジャッジをすることは勧めません。
  子どもはお母さんから“励まされた”言葉をそのまま相手に報告します。 仲間外れにされた子が“私のお母さんは、そんなこと言う子は悪い子だって言った”と。本人は、そう報告することで友達が戻ってくるのを期待しているのですが、大概これは逆効果です。そして本人は、期待がはずれた分、余計に傷つきます。

  親が “友達はSちゃんだけじゃない。他のこと友達になれば?”と言うと、子どもの反応は “他になんて誰もいない。ほかの友達じゃダメなんだ”と返ってきます。自分自身が、他の子と遊んでみよう、自分の好きな遊びをしよう、と決められるようになることが大事です。
  子供が悲しい出来事を報告している時は、気持を受け止めてあげるだけに留め、違う時に何気なく他の子どものことを話してみたらどうでしょう。そして、その子に対して “Kちゃんって、面白いことを言う、楽しそうな子だね”等、ポジティブなコメントを残して、本人ゆだねると(Kちゃんとお友達になれば?とは、言わないで)次の日にKちゃんと遊ぶ気になる可能性があります。

  社会性の発達に伴う友達関係の変化は、大人は立ち入ることはできませんね。“お母さんが明日Sちゃんに話してあげる”と子どもの友達関係に親が踏み行って、何を変えることができるでしょう?
それに、友達関係の移り変わりは、今後繰り返し起きてくることです。幼児の頃にこの悲しい経験をすることは利点があります。子供は大きくなるにつれて、感受性が強く、または繊細になります。その分傷つき方が大きくなるのです。幼児の頃は、お母さんに分かってもらって泣いたら、次の日はけっこう元気にでかけていける、言う側がシンプルなら、言われる側もまだシンプルです。 

  もし、お子さんが、ここに書いた以上に不安定な様子を示すような時は、担任の先生に相談してみてください。

2009年4月30日

桜切るバカ梅切らぬバカ

  私が吉岡たすくさんの本、“親ばなれ子ばなれ”に出会ったのは、日本で保育園勤務していた頃ですから既に20年以上前のことです。そんな古い考え方、と思いますか? そろばんを習った時代から、電卓を使う、PCを使うと学校教育は変わったかもしれません。でも私は、時代が変わっても人間が人間として育つ大切な始めの一歩は変わらないと思います。自動車が電気で走るようになっても、人手を使わなくてもコンピューターでいろんなことができるようになっても、それら利器を使えるようになる学習能力の基礎となる部分は幼児期に育まれ、その成長過程は変わりません。
そういうわけで、私は吉岡先生の書かれていることを今でも基本にしています。

  吉岡さんは植木屋さんから学んだことを子育てにつなげて説明しています。草木をうまく育てるためには肥料をやる時期、剪定する時期があるように子育てにも“温かく手を差し伸べなければならない時期、放っておいてもいい時期、喧嘩させてもいい時期、泣いたりわめいたりしてもいい時期、友達と助け合っていくべき時期などがある”とおっしゃいます。

  “桜切るバカ、梅切らぬバカ”という言葉を知っていますか?桜は枝を切ると花が咲かなくなるだけでなく、枯れてしまう事があり、梅は反対に剪定しないと良い実がつかないところからきているのだそうです。これを子育てにつなげると、子どもそれぞれの個性を見極める大切さということになります。
“隣の子が桜か梅かわからないし、また自分の子どもが桜か梅かも見極めないで、隣が剪定したからといって、自分の子も同じように剪定してしまってかえって枯れさせてしまうこともあるんです。” なんとわかり易い説明でしょう。
  この指摘はもう他の本で読んで知っているかもしれませんね。
それでも “わかっているんですけどね、ついやっぱり他の子と比べたり、同じことを習わせようと思ったりしちゃうんです”という正直なところを結構聞きます。そんなお母さん・お父さんへ。 実際に子どもさんの性格を書き出してみてください。それからお友達の性格を書き出してそれぞれの良いところを確認しあってはどうでしょう。夫婦で話し合う、子どもと話し合う、誰が相手であっても良いところを言葉に出すことは、語る側にとっても聞く側にとっても大変なプラスの効果があるんですよ。(短所を話題にすることは勧めません。特に子どもさんの前では。)

  海外に住んで日本を思い返すと、みんなと同じように行動するのが日本人の傾向のように見えます。学校教育も一つの教室内では先生が前に立っての一斉授業。マスコミで大きく話題になるとすごい勢いではやる。こちらの人が不思議に思うのがリクルートスーツの風景。大人になったら文化に沿って生きる術を知らなければなりませんが、育つ過程にある子供たちには、個性(学び取り方)を尊重してもらうことが伸びていく大切なカギなんですね。

  吉岡さんが書いていらっしゃることを元にしたブログhttp://makiko-yoshioka.blogspot.com/をご覧ください。

©2009 Makiko Nakazawa

2009年4月22日

グリーフの中にいる子どもたち ― 親しかった人との死別、親の別居・離婚

グリーフは誰かが亡くなった時だけに経験することではありません。慣れ親しんできた環境・仕事・人間関係を失うときに経験する感情の動きです。

配偶者との別れに直面している親は、一般的に子どものグリーフを受け止めてあげる余裕がありません。本人がグリーフの辛さの中にいるからです。

別居や離婚を考えた時、それによって起こるいろんな影響を何回も何回も考えたことでしょう。特に子どもに与える影響を。親は誰でも子供に一番良いことをしてあげたいと願っています。だから子どものためにも何とか難しい状況を乗り越えようとされたと思います。親が難しい状況の中にいることを子どもに話すのは容易なことではありません。子どもの質問や親に対する正直な気持ちを聞くこともまた心を痛めるでしょう。でも、子どもたちもあなたと同じように聞いてもらうこと、本当のことを知ることが必要なのです。

辛い状況にどう対応するか、どう乗り越えていくかは人それぞれ違います。それは子どもにも当てはまります。遠慮なく質問して何が起こっているのかを理解しようとする子、反抗的な行動を見せる子、情緒が不安定になる子もいます。中には何の変わった様子を見せない子もいますが、だからと言ってその子たちが何も感じていない、大丈夫というわけではありません。

家族、友達、あなたの代わりに子どもさんの話を聞いてくれる人が近くにいますか?
平気そうにしている子どもさんの本当の気持ちを引き出してあげられる人はいますか?

2009年3月30日

友達親子

ブログのタイトルに使ったこの言葉からどのような印象を持たれたでしょうか?

娘と母親が姉妹のような親友のようなオープンな信頼関係でつながっている、息子と父親が男同士の話ができるように成長した。子育てのゴールに見たい光景ですね。

ゴールということはそこに達していないスターティングポイントがあるということです。ところがこのゴールであるはずの光景をまだ幼児の子どもと、スターティングポイントであるはずの時期に見ているのは私だけでしょうか?

どんな人と友達になりますか?価値観を分かち合える人、見解が違っても話し合える人ではないですか?私たちは幼稚園・保育所に入って以来、気の合う友達を見つけていろんなことを分かち合ってきました。不思議と子供たちが仲良しになると親たちも自然と友達になっていくんですね。両方の親が似た価値観で子育てをしているということでしょうか。
では、幼児と親との関係はどうなんでしょう?平等ですか?私は上下関係であることが親と育つ過程にある子供たちとの健全な関係だと思います。

しつけについてどういう考えをお持ちですか?しつけというとあれもダメ、これもダメと厳しく育てることだという印象が一般的なんでしょうか?Dr. Sal Severe は“How to behave so your children will, too”(BANTAM BOOKS社)という本の中でしつけとは罰を与えることではなく、理にかなった選択ができるように教えることだと言っています。

しつけとは超えてはいけない一線(Boundary)を越えるか越えないかを教えていくことです。こんな話を聞きました。
あるところに、大変賢い金魚がいた。水槽の中にいるのに飽きて、しかも外の世界が自由で楽しそうに見えたので精いっぱいのジャンプをして水から飛び出した。もちろん魚にとって水のない世界では死しかない。
水槽の中が安全で自由があり楽しい場だったんですね。水槽のガラスの壁が超えてはいけない一線(Boundary)です。子供たちにあてはめて考えられますか?

子どもは一歩譲るとまたもう一歩押してきます。どうしてでしょう?子どもたちはどこまでが安全なのか知りたいんです。ですから一線をきちんと引いて育てている家庭の子どもの方が落ち着いていて、学習の場で新しいことにチャレンジするゆとりがあるようです。

私は境界線を知っていると安心する例をこんな風に説明します。(海が怖くない方にはわかりにくいかもしれません)
私はプールではかなり泳げるんですが海は好きではありません。プールならどんなに深いプールでも怖くないんですが海は深さがわかりません。波打ち際からどんどん歩いていく時、足が砂を感じている間はまだもう少し行っても大丈夫だと歩を進めます。ところが海って急に深くなっていることがあるでしょう。あれが怖いんです。足の指先で砂を感じているのが境界線(Boundary)です。砂を感じている間は安心なんです。

理にかなわない、親の都合を押し付けることとしつけの違いが実際の例がないとわかりにくいかもしれませんね。E-Mail(詳細プロフィールに入るとアクセスできます)でお問い合わせください。もう少し具体的な場面にあった考えをお伝えできると思います。

子どもさんが20才くらいになる頃、友達親子になっていたら素敵ですね。
© 2009 Makiko Nakazawa